鎌倉 大仏
先日 遅めの初詣に行ってきました。
初めて行ってきました
意外と大きくてびっくりしました
本尊は「鎌倉大仏」「長谷の大仏」として知られる阿弥陀如来像。
山号は大異山。
開基と開山はともに不詳である。
2004年2月27日、境内一帯が「鎌倉大仏殿跡」の名称で国の史跡に指定された。
大仏の中にも入ってみました
入り口はとても小さくて人1人通るのがやっとの中
すれ違うのも大変でした
年配の方々はぐいぐいくるのでタイミングを見計らう必要がある😅
鎌倉のお寺は一つ一つが小さいイメージがあったが
大仏様のところに関しては割とゆったりと
見ていくことができました。
開門は
午前8時から約午後5時まで
入場は正門15分前までになっている
大仏の中の開館時間は午前8時から午後4時30分
今流行の御朱印帳の受付は午前9時から約午後3時までになっている
開館時間は
一般中高校生は200円
小学生は150円
大物の中の拝観料は別途料金が
1名あたり20円となっている
公文書や欧文紀行文も残っている
古文書
鎌倉大仏として広く親しまれている高徳院の本尊、国宝銅造阿弥陀如来坐像の建立が開始されたのは1252(建長四)年ごろのことと言われています。
像高約11.3m、重量約121t、金色に光り輝く(完成当初、鎌倉大仏は金箔で覆われていました)尊像の偉容は、否応なく人々の関心をひき、その姿を目にした人の心に強い印象を残したことでしょう。
鎌倉の大仏に関する記述は、歴史書、紀行文、戯作など、さまざまな書物のなかに残されています。
その内容も、大仏建立の経緯を伺わせる公的な記録、天災による大仏殿の倒壊や大仏像の修復に関する記述、旅の名所として大仏を紹介したものなど、多岐に渡っています。
さまざまな時代の先人たちが、さまざまな視点から記した文章を通して、鎌倉大仏の履歴が浮かび上がってきます。
欧文紀行文
鎌倉大仏に関する記述は、日本だけでなく欧米の史料の中にも見られます。
16世紀、ヨーロッパ諸大国の貿易圏が東アジアにまで及び、日本にも、スペイン、ポルトガル、イギリス、オランダなどから商人や使節が訪れるようになります。
彼らが残した記録のなかには鎌倉の大仏像に関するものもあり、その大きさや造形の美しさに感銘を受けたことが綴られています。
その後、鎖国体制の完成とともに途絶えた尊像と西洋人の接触は、開国を機に再開されることになります。
1859(安政六)年に横浜港が開港し、外国人居留地が設けられると、自由に出歩ける範囲を居留地から40km程度に制限されていた外国人たちの間で、横浜にほど近い鎌倉は行楽地として人気を博します。
多くの外国人が鎌倉大仏を訪れていたことが、彼らによる記録や写真から伺えます。
調べていくともっと面白いかも知れませんね!
都心から近くアクセスもしやすいので良かったら一度
参拝にきても面白いかも!!